水都大阪を悠然と流れる淀川は、古来、畿内のみならず日本の政治・経済・文化の発展において非常に重要な存在だった。大阪平野を縦横無尽に広がる淀川とその支流は、京都と西国を結び、さらにはアジア諸国へと繋がる交通と物流の大動脈としての役割を担ってきた。 ...

奈良県葛城市南部、旧新庄町にある屋敷山古墳は全長百三十五メートルの前方後円墳で、中世にはこの地の豪族布施氏によって墳丘を利用して城が築かれた。布施氏は屋敷山の二キロメートルほど西の山中にあった布施城を本城としたが、屋敷山の城は平時の居館として建てられたものという。 ...

日本武尊は伊勢能褒野で客死するが、その魂は白鳥と化して、大和琴弾原に降り立ち、さらに飛んで河内古市に留まったのち、天高く翔け昇ったと『日本書紀』にいう。大阪府羽曳野市古市に鎮座し日本武尊を祀る白鳥神社の縁起には、天へと昇る姿を「埴生野の丘を羽を曳くがごとく飛び立った」と記す。 ...

元禄年間のこと、道頓堀の芝居小屋「中之芝居」に足しげく通う、三隅八兵衛なる侍がいた。この男、芝居好きの初老の武士ということを除いては素性がはっきりしない不思議な人物で、生玉神社の南の源聖寺坂辺りに住まいがあるという話もあるが、誰も詳しいことを知らない。 ...

四天王寺を起点として南にのびる下高野街道は、狭山池にぶつかって二つに分岐する。池の東側へ回り込めば中高野街道に合流し、西の道をとると岩室を経て西高野街道に合流する。また岩室で西高野街道から分岐する天野街道を進めば、女人高野といわれた天野山金剛寺に至る。 ...

堺市立福泉中学校の南、山田公民館に隣接して小さな神社が建っている。北側から境内に足を踏み入れる。左手に一対の灯籠と石鳥居、そして西面する銅板葺屋根の社殿。境内の西半分は児童公園になっている。 ...